顧客と共に97年──依存から自立へ
発注元の大メーカーがあって、その下請け工場がある。その場合、下請け工場は大メーカーの指示通りの製品を作ることに徹しなくてはならない。しかし、下請だからといって盲目的にただ言うことを聞くだけではいい製品は期待出来ない。実際の製造元として蓄積したノウハウを主張し、それを発揮できて初めて下請け工場としての価値がある。現・社長の中嶋が電巧社に入社した1991年当時はまだバブルの影響が強く、ただ作るだけで精一杯の忙しさ。主体的に仕様を決めていくというメーカー本来の機能が発揮できず、親会社への全面依存で指示通りのものを作るだけ。儲かっても喜びを感じない疲弊感があふれる工場であった。
一方の商社事業の中心は東芝の特約代理店。メーカー主導の販売戦略のなか、与えられた商品を割り振られた担当客先に御用聞き営業することが活動の中心であった。「販売する商材を自ら探し出したり、独自の販売政策を持つなど、商社本来の機能を持たない、メーカー依存の営業姿勢は、本来私が思い描く営業とは程遠いものでした。」メーカーからは「刈り取り部隊」と揶揄され、メーカーが築いた市場に商品を届けるだけの役割に、商社機能の欠陥を強く認識したが、これが下請け営業というものだったのだ。
電巧社は1928年の創業以来、電気工事業から出発し、創業者の思いから早い時点で製造業に着手。戦後は東芝特約代理店(現在はビジネスパートナー(BP)に呼称変更)として躍進し、モーターや配電機器などの産業用電機品から、受変電・空調・照明・昇降機などの電気設備を幅広く販売してきた。一方、東芝協力工場としてスイッチギア(配電盤)の製造を行うなど、総合電機メーカーへの依存が大きいとはいえ、高度経済成長期には「商社と工場の二本柱」で大きな成長を遂げてきた。
しかしバブル崩壊期を境にその在り方を見直さざるをえなくなった。総合電機メーカーが多品種の自前主義に耐え切れなくなり、製品撤退が続出。また代理店への口銭支払いもままならない価格の下落に、刈り取り機能しか発揮しない代理店を排除しようという風潮が一気に増してきたのだ。
そんななか現・社長でもある中嶋乃武也は、進化する老舗(しにせ)という考えを提唱し、その在り方として、「依存から自立へ」を掲げて営業手法ともの造りの刷新を図ってきた。
バブル崩壊が促した業務変革
売上の減少、古い営業体質、赤字の累積。状況を打開するためには、従来の「メーカー依存型」の体制を見直す必要があった。「これまでのやり方では通用しない。自ら提案し、顧客の声を拾い、上流から関わる営業が必要でした。そうだ、何でも相談して頂けるコンシェルジュのような存在を目指そう。」そんな経緯で出来たキャッチフレーズが、今も使われている「電気のコンシェルジュ」である。
経営再建の過程で、中嶋氏は営業の役割を「納品」から「提案」へと転換させた。銀行からの厳しい指摘や苦渋のリストラも経験したが、その試練が新しい企業文化を形作っていった。
一棟まるごと提案できる商材の幅が相乗効果を発揮する
そもそも総合メーカーというものは製品ごとの縦割り組織で、そのBPも単一製品のみを扱うケースが多い。これは同じ建築案件でも、例えば空調機は空調サブコンに販売し、受変電設備と照明器具は電気サブコンに販売するというように、製品によって売り先も売り方もタイミングまでもが異なることから、自然と得意分野に分かれたのだと推察する。その点、地続きで柱を増やしてきた電巧社は特異な存在であったが、製品毎に別々の営業を行っていること自体は、他のBPと変わりなかった。
しかし東日本大震災が状況を一変させた。省エネや節電の機運が一気に盛り上がったのだ。「照明会社は照明しか売らないし、空調会社は空調設備しか扱わない。でも当社にはビル全体を総合提案できる商材が全部揃っている。これは大きな強みでした。」折しも商社部門にもエンジニアを配置し提案力を増していたなか、M&Aで取り込んだ補助金申請ビジネスで、商材販売から申請支援までワンストップで対応できるようになった。この総合力が顧客からの信頼を呼び、月50件以上の新規取引が自然に生まれるまでに広がったのだった。
広告なしで月50件──紹介で広がる顧客開拓
展示会や広告に頼らず、新規取引が継続的に生まれる点も電巧社の特徴だ。もちろん営業マンの努力の成果だが、それ以外にも二つの要因がある。ひとつは、東芝出身者を含む営業人材のネットワーク。メーカー営業の経験を持つ人材が加わり、電巧社が担う範囲が上流営業へと大きく広がった。もうただの刈り取り部隊ではないのだ。
もうひとつは、商社部門内にも配置されている技術スタッフの存在である。メーカーのエンジニアは優秀でも自社製品しか説明できないことが多く、もはやいくつもの商材を組み合わせた電巧社のビジネスには自前のエンジニアで総合提案するしかない。例えば、空調更新で取引のある顧客に照明や太陽光発電を組み合わせて提案する。結果的に新規のクロスセルが実現するのだ。
「例えば当社を"モーター屋"としての一面でしか知らなかったお客様が、"ビル設備全般を任せられる会社"だと認識してくださる。営業にとってこれほど大きなチャンスはありません。」
“電気のコンシェルジュ”を育てる
従来はメーカーが作図や設計を行い、代理店は下流で"刈り取り"として納入業務だけをするのが通例だった。しかし今、電巧社の営業は図面打合せから参加し、商品の販売から納入管理、そして工事からメンテナンスまでをグループで担う。時には全体の頭に立って元請けとして受注することもある。これも他のBPとの大きな差別化ポイントかもしれない。