目次
1.はじめに
さぬきうどんブームは、単なる一過性のブームとして終わらず、地域文化と食が融合した全国的な食文化として定着しました。その背景には、的を得たマーケティング戦略が存在しました。
本稿では、さぬきうどんブームをマーケティングの視点から俯瞰し、その成功要因を分析します。さらに、地域ブランド確立の重要性を探るとともに、知られざる笑えるエピソードを交えながら、その魅力を深掘りしていきます。
2.さぬきうどんブームのターニングポイント
さぬきうどんブームのターニングポイントは、以下の4点に集約されます。
①大阪万博(1970年)
大阪万博は、さぬきうどんが全国的に認知されるきっかけとなりました。当時、各都道府県が出展した「ふるさと村」で、香川県はさぬきうどんを提供し、多くの来場者の舌を魅了しました。
②大平総理大臣(1976年頃)
香川県出身の大平正芳元総理大臣が、さぬきうどんを愛したことがメディアで取り上げられ、注目を集めました。大平氏は、首相在任中に首相官邸で「さぬきうどんパーティ」を開催し、マスコミに振る舞い、さぬきうどんの普及に尽力しました。
③恐るべき讃岐うどん(1990年頃)
タウン情報かがわの編集長、田尾和俊氏が著した書籍「恐るべき讃岐うどん」は、さぬきうどんの魅力をユニークな視点で紹介し、ブームを加速させました。
④映画UDON(2006年)
本広克行監督が手がけた映画「UDON」は、さぬきうどんをテーマにした作品であり、さらなるブームを巻き起こしました。映画には、さぬきうどん店主や麺通団員など、実在の人物が登場し、実話をもとにしたコメディタッチな演出でさぬきうどんの魅力を伝えています。
3.「恐るべき讃岐うどん」のポジショニング戦略
「恐るべき讃岐うどん」の最大の功績は、さぬきうどんのポジショニングを明確に打ち出したことです。
従来の「さぬきのソウルフード」というイメージではなく、「怪しいうどん屋」というユニークなポジショニングを採用することで、新たな魅力を引き出しました。
このポジショニング戦略は、他の地方グルメとの差別化を図り、さぬきうどんの独自性を際立たせることに成功しました。
読者は、お笑いエッセンスたっぷりの「恐るべきさぬきうどん」を通じて、さぬきうどんの奥深さに触れることができます。
4.コンテンツマーケティングの先駆け
「恐るべき讃岐うどん」は、現代で言うところのコンテンツマーケティングを30年以上前に実践していました。書籍に掲載された地図は、あえて不親切なものにし、読者が自ら探求する楽しみを提供しました。
この手法は、読者を単なる情報消費者ではなく、体験型のコンテンツ参加者として巻き込むことで、強いエンゲージメントを生み出しました。書籍は1巻から5巻まで出版され、テレビや雑誌の取材も頻繁に訪れるようになりました。
5.ブームの加速と定着:知られざるブームの裏側!
さぬきうどんブームの拡大
「恐るべき讃岐うどん」のヒットをきっかけに、さぬきうどんブームは雪だるま式に拡大しました。100円ショップや「清貧の思想」といったキーワードと結び付けられることで、メディア露出が増加し、一般消費者への認知度も高まりました。
村上春樹氏のエッセイや映画「UDON」など、著名人やメディアがさぬきうどんを取り上げることで、ブームはさらに加速しました。リーマンショック後の1000円高速道路導入も、県外からの観光客増加に拍車をかけました。
このブームの裏側には、数々の知られざるエピソードがありました。
ゲリラうどん通ごっこ「麺通団」誕生秘話
連載のきっかけ
筆者が高校の先輩である田尾和俊氏をランチに誘い、「中北うどん」に連れて行ったことがきっかけで、タウン情報かがわでのエッセイ『「麺通団」さぬきうどん針の穴場探訪記』の連載が始まりました。
筆者と田尾氏の会話
筆者:「先輩、このうどん屋、めっちゃ美味しいんですよ!」
田尾氏:「ほぉ、どれどれ…(ズルズル)…確かにうまいな。しかし、こんなマニアックな場所にある店、知ってるのは近所の人だけやろ。県民でも知らんやろ。他にもこういううどん屋あるんか?」
筆者:「ありますよ。僕が知ってるだけでも何軒か…」
田尾氏:「よし、わかった。タウン情報かがわで連載しよう。県民も知らないようなうどん屋を巡る連載や。若者は面白がって行くと思う。わしが面白がるセンスと同じ若者はいるはずや!」
筆者:「なるほど、面白そうですね!」
田尾氏:「ああ、連載タイトルは『さぬきうどん針の穴場探訪記「麵通団」』でいこう。麺通団は、わしらみたいなうどん好きが集まるグループや。お前もメンバーに入れとくぞ!」
筆者:「え!早!」
田尾氏:「よっしゃ、決まりだ。早速、編集部に連絡してくるわ」
最初は部下の編集マンに書かせていたものの、全然面白くなかったため、田尾氏自らが筆を執り、独特のユーモラスな文体が確立されました。このお笑いセンスがなければ、さぬきうどんがメジャーにはなれなかったと言えるでしょう。
さぬきうどんツアーの誕生
筆者は、田んぼの中や山の中にある個性豊かで、当時まだ有名ではなかったうどん店を数軒巡る「さぬきうどんツアー」を始めました。
「楽しいのは4軒まで。それを超えると修行(苦行)になる」なんて言いながら、うどんツアーを楽しんでいました。
ブームの予感
筆者は、GWに県外ナンバーの車がうどん屋の前でよく見かけるようになり、車中を見ると単行本になったエッセイ『恐るべき讃岐うどん』が助手席に無造作に置いてあるのを目にしました。「これはブームが来るかもしれない」と、ひそかに思いました。
はなまるうどん全国展開のきっかけ
筆者があるベンチャー起業家をうどん店に案内した際の出来事。
「安藤さん、讃岐うどんって面白いですね。おいしいし、麺やだしに個性がいっぱいあるし、立地やたたずまいも色々。知り合いにうどん屋さんがいるので全国展開やりますよ!」
その起業家の発言がきっかけで、はなまるうどんの全国展開が始まりました。
有名ギタリストも驚愕
筆者が某有名ギタリストを有名うどん店(がもううどん)に案内した際、数百メートルの行列を見て、
「ちょっと、安藤さん、あの車の渋滞、行列は何なの!」
と、ギタリストもびっくり仰天したそうです。
以上のように、数々のエピソードが積み重なり、さぬきうどんブームは加速し、全国的な食文化として定着していきました。
6.丸亀製麺の成功
丸亀製麺は、「恐るべき讃岐うどん」に登場するお店の特徴を巧みに取り入れ、全国展開に成功しました。同社のビジネスモデルは、さぬきうどんブームの恩恵を最大限に活かしたものです。
丸亀製麺は、製麺所を店舗に併設し、麺の鮮度をアピールしました。また、オープンキッチンを採用することで、調理過程を見せるようにしました。これらの工夫は、消費者に安心感と期待感を与え、行列のできる店づくりに貢献しました。
7.地域ブランドの確立
さぬきうどんブームは、香川県の地域ブランド確立に大きく貢献しました。さぬきうどんは、香川県の観光資源として、全国的に認知されるようになりました。
香川県は、さぬきうどんを地域ブランドとして確立するために、様々な取り組みを行っています。例えば、「うどん県」をPRするキャンペーンを展開したり、さぬきうどんの品質を維持するための認証制度を設けたりしています。
8.まとめ
さぬきうどんブームは、書籍「恐るべき讃岐うどん」の存在が最大のKFS(Key Factor for Success)であったと言えます。同書は、30年以上前にコンテンツマーケティングを先取りし、さぬきうどんの魅力を多角的に発信することで、ブームを牽引しました。
さぬきうどんブームの成功は、地域文化と食を融合させ、「怪しい」という、そして決して自慢しない独自のポジショニングを確立し、コンテンツマーケティングを駆使したことによるものです。また、地域ブランドを確立するための継続的な努力も、ブームの定着に貢献しました。
9.今後の展望
さぬきうどんは、日本国内だけでなく、海外でも人気が高まっています。今後、さぬきうどんが世界的なブランドとして成長するためには、さらなるマーケティング戦略の展開が必要です。
例えば、海外の食文化やニーズに合わせたメニュー開発や、SNSを活用した情報発信などが考えられます。また、さぬきうどんの歴史や文化を伝えることで、ブランドの価値を高めることも重要です。
丸亀製麺もはなまるうどんも時を同じくして香川県にうどん教習所の新設や本社を移転しています。大きく成長した2つの全国チェーンがこれからどんなマーケティングを展開するのかリアルで肌感で観察できるサンプルとして絶好の教材であり楽しみですね。
地域に根ざした伝統的なうどんが、世界へと広がる未来。今後のマーケティング戦略の行方に期待が高まります。
著者プロフィール
安藤 芳樹
「セブンチャート仕事術」開発者。セブンチャートインストラクター、オフィスミラクス代表
広告代理店(ADK)に勤務しながらドラッカーを実践。「5つの質問」で企業トップとの事業の定義を合意しながら経営者視点で商談を進め顧客に認められる。40歳の頃、ビジネス観や人生観に普遍の基盤をもちたくドラッカーに目覚める。その知見体得のために試行錯誤してたどり着いたのが「セブンチャート仕事術」。その体得のためにやった反復訓練は30000ページのチャートを作るにいたり、今も増殖中。さぬきうどんブームの仕掛け人であり、映画「UDON」のトータス松本の役柄モデルでもある。立教大学卒業。2021年12月23日 初の著書「チャートで考えればうまくいく」を上梓