1939年創業の日本原料株式会社。硝子の原材料である砂の製造・販売から始まった同社は、戦後GHQの要請を受け、水道用ろ過砂の製造へと転業した。現在、日本の浄水施設に使われるろ過砂の約8割を同社が供給しているという。
しかし、日本原料の本質は「砂メーカー」ではない。
原材料枯渇、法規制、膜処理への転換圧力、そして度重なる自然災害。幾度もの構造変化に直面しながら、同社は砂の可能性を起点に、洗浄技術、ろ過装置、さらには移動式水処理システムへと領域を広げてきた。
代表取締役社長・齋藤安弘氏に、技術起点経営の真髄と、その先に見据える未来を聞いた。
砂から始まった水インフラ再建
戦後、日本の水道施設は壊滅的な被害を受けていた。GHQから「アメリカ規格に沿った浄水場を再構築する」という要請を受け、日本原料は1945年から水道用ろ過砂の製造に着手する。
砂はどこにでもある。しかし、水道用ろ過砂は「どんな砂でもよい」わけではない。粒径、形状、シリカ含有率。厳格な規格を満たす砂を求め、創業者は全国を自ら歩いて探した。北海道から九州まで調査を重ね、適地を見つけ出し、工場を建設する。
こうして同社は、日本の浄水場の大半にろ過砂を供給する企業へと成長した。
だが、安定は長く続かなかった。
原材料枯渇と法規制が生んだビジネスモデル転換
高度経済成長期を経て、1960年代末までに主要河川での砂採取が原則禁止される。原材料は無限ではない。従来の「ろ過砂を販売し、一定年数ごとに交換する」というビジネスモデルは限界を迎える。
そこで同社は発想を転換する。
砂を"売る"のではなく、"再生する"。
浄水場で使用し汚れたろ過砂を、洗浄して再利用する「更生工事」事業を開始したのだ。まだ"リサイクル"という言葉すら一般的でなかった時代であった。
だが、ここでも壁にぶつかる。高度化した水処理では、砂表面に強固な固着汚れが発生し、従来の洗浄方法では除去できなくなっていた。
京都の研究室から生まれた革新
突破口は、同志社大学の"鳴き砂"研究だった。
砂と水を回転させることで、砂同士を擦り合わせ、表面の汚れを除去する。梅酒瓶を回す実験から着想を得て、同社は3次元渦流を発生させる洗浄機を開発。当初は40時間かかっていた洗浄を、わずか15分に短縮した。
技術は完成した。
だが、売れない。
この洗浄機は自社工事用の"道具"に過ぎなかった。銀行からは「金をかけすぎだ」と圧力がかかる。経営は崖っぷちに立たされた。
そこで齋藤氏は、もう一段階踏み込む。
「洗浄機を内蔵したろ過装置を作ればいい」
フィルター交換不要のろ過装置「シフォンタンク」が誕生した瞬間だった。